米国特許の手続でやっかいなのが、IDS(先行技術の情報開示陳述書)です。権利を主張するならば公正でなければならないという原則のため、出願人(および代理人)は知っている先行技術に関する情報を審査官に提供する義務があります。
2011年5月、CAFC(米国の連邦巡回区控訴裁判所)が大法廷で、出願係属中のIDSの不提出に伴う反衡平行為に関する重要な判決を出しています(Therasense, Inc. v. Becton, Dickinson and Company )。
この判決は、反衡平行為かどうかを判断するにあたっては、特許権者の「欺く意図」と、情報の「重要性」を分離して判断しなければならないと判示しています。重要性が高い情報を提出しなかったからといって、特許権者の「欺く意図」があったとまでは立証されないと、この判決は述べており、注目されています。逆にいうと、今までは「提出されなかったのが重要情報なら、特許権者に欺く意図があったことを示唆する」と判断されてきたわけです(手短に言えばです)。
また、この判決を受けて、USPTO(米国特許商標庁)は、情報の「重要性」に関して、37 CFR (米国特許庁規則) 1.56の改正案を発表しました。これまでもUSPTOは、資料の山を作るIDSの提出を歓迎していなかったため、規則改正案は提出義務緩和に向かっています。但し、最高裁判決が出ていないので、規則改正は保留されています。
従来、実務的には、少しでも問題になりそうな情報は何でも提出しておくのが安全策であり、それが理想でした(費用の余裕がある限り)。
最高裁判決などの今後の動きによっては、「重要ではない先行技術文献については提出しない」という方針も、今後はありうるのかもしれません。
しかし、侵害裁判では、被告の弁護士は、原告のIDSの不備をつき、無知な陪審員に原告が不誠実であるという印象を植え付けようとしますし、将来もIDSという制度がある限りそれを続けるでしょう(断言できませんが、可能性は残り続けます)。
米国で裁判の陪審員に選ばれるということは、その義務から逃げる知恵がなかったか、善良な正直者ということです。被告としては、侵害被疑物件が特許権の効力範囲に含まれるかどうかといった面倒くさい技術的な問題を議論するよりも、重要な情報を提出しなかった不公正な原告の権利行使を許して良いのかと素人の心情を揺り動かす方がはるかに楽です。
審査と訴訟は別ものですから、せっかくIDSの手続上の規則または運用が緩和される方向に向かっても、素人が判断する個々の侵害訴訟では相変わらずという事態も考えられます。
結局、しばらくの間は、従来通り、問題になりそうな情報は何でも提出しておくというスタンスを崩せないと思います。少なくとも特許事務所はクライアントに勧めざるを得ません。
重要でない情報を出さなかった場合でも権利行使には影響は”絶対に”ないと安心できるような画期的な判決とか、IDS全廃につながるような画期的な判決が出てくれば、もっと楽な途をお勧めできるのですが。上記の最高裁判決がどんなものなのか注目したいと思います。